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現在の“家族”に至るまで 〜子どもの頃の記憶〜

  • 執筆者の写真: shinkakaradakokoro
    shinkakaradakokoro
  • 2020年8月13日
  • 読了時間: 4分

 私に、家族として向かいたい方向があるのは、子どもの頃の記憶がずっと残っているからです。その記憶は学生になっても、社会人になってからも残り続け、「両親は果たして私の味方になってくれるのか…こんな私でも受け止めてくれるのか…」と、試すような言動を何度かしてきました。


 子どもの頃の記憶は、主観的なものなので本当にそうだったのかは確かではないし、今まで生きてきた中で起こった出来事を子どもの頃の記憶に結び付けて考えていたりもするので、母親に子供の頃の記憶を伝えてみても、母親の記憶と異なることが多いです。


 しかし、私には子どもの頃の『寂しかったな、悲しかったな、辛かったな』という記憶が残り続けています。

 

 両親は共働きで、祖父母、父母、3人の子どもの7人家族でした。家は昔の家の造りだったので、台所(キッチン)、居間は扉で仕切られていました。現代のような居室側を向いているキッチンではなく、壁側を向いているキッチンでした。


 母は家庭では家事を全て担い、子育ても全てと言っていいほど、ほとんど担っていました。いつも忙しそうに一人でとびまわっていました。子どもが話したいことや触れ合いたくても時間がない。 

 母は仕事から帰ってくると、すぐに扉が閉まった閉鎖的な台所に行き食事作りをしました。その時に話したいことを話していましたが、一所懸命に食事を作っているので、私の方を向いているのは背中だけでした。

 父はテレビをみたり、別の部屋に行ったりしていて、話はあまりしない人で、なおかつ怖い存在であったため、一緒にいるのも嫌だなーという感じでした。

 

 子どもとしては、父母に対して、寂しいなー、話を聞いてほしいなー、もっと関わりたいなーという思いがありました。


 しかし、子どもの頃の私は、『何となく寂しいけど何で寂しいかが分からない、満たされないと感じているけど何で満たされていないのかが分からない、』でした。子どもの頃から学生の頃まで、うまく感情を処理できず、イライラして、家族に反抗ばかりしていました。

 

 看護学校や看護職として働く中で、自分を見つめ直す機会が数多くあり、子どもの頃の記憶を辿ってみて初めて、私の寂しい、満たされないという感情はここからきているのか、と理由付けすることができました。


 現在、自分が子育てをして思うことは、

・子どもはその時に抱いた感情や思いを伝える言葉を持っていなかったり、

・そもそも抱いた感情や思い自体が何なのかがわからなかったり、

・何か出来事があってから、なんか嫌、不快と感じるまでにかなり時間がかかって泣き出したり、怒り出したり


 現在、息子は4歳になり、だいぶ自分自身の気持ちや感情を言葉で伝えることができたり、「どうして泣いたの?」と聞くと「〇〇だったから。」と何でこの言動をしたのかを自分の言葉で伝えることができるようになってきました。3歳くらいまでは、すぐに泣いたり怒り出したり、反対に静かに遊んでいたと思ったら、急に泣いたり怒り出したり...「えっ?!今、何かあった?」と思うことが多々ありました。その度に、抱きしめて「なんで泣いているの?怒っているの?〇〇だったから?悲しいの?寂しかったんだね。」と問いかけをして、子どもが抱いている感情を感じ取れるように、起こった出来事と関連付けられるように、抱いた感情を言葉で表現できるようにお手伝いしました。

 

 自分が抱いた感情や思い自体が分からない、それを伝える言葉も持ち合わせていない、その感情や思いがどの出来事からきているのかもよく分からない。なんで自分が嫌だ、不快だと思ったのかもよく分からない。そんな状況が、さらに子どもをイライラさせたり不自由にさせるのかなという思いがあり、私は上記のような言動をしています。

 

 子どもが同じように泣いたり怒っても、夫は全く違う言動をします。こちょこちょしたり、笑わせようとふざけたりして、気分を変えようとします。


 夫婦のどちらの関わり方が、子どもに合っているか、子どもが心地いいと思えるのかは、その時の感情や状況などによって異なると思います。

 

 子どもにとって、話したい内容、その時の感情、遊びたい内容などによって、パパがいい時、ママがいい時があると思います。これから成長するにつれてママとパパのどっちが好き!一緒にいたい!というのが出てくると思います。その時に、夫婦のどちらでも臨機応変に子どもに手を差し伸べられるように、子どもがママを求めているならパパがご飯を作ればいいし、パパを求めているならママがご飯を作ればいいと思います。


 一人で全てを担うのには限界があります。時間も限られていますし、身体は一つしかありません。

 

 職場だって、誰かの仕事が手一杯だったら、顧客の利益を最優先に考えて、できない部分を他の人が補います。家族も社会の1つの単位。同じようにやっていけばいいと考えています☆


次回に続きます☆


 

 
 
 

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