top of page

私って面倒くさい(笑)

  • 執筆者の写真: shinkakaradakokoro
    shinkakaradakokoro
  • 2020年10月10日
  • 読了時間: 6分

私の思い・・・


 子どもを里帰り出産後、夫のいる家に帰ってから慣れない赤ちゃんとの生活。夫が仕事で家にいない間、赤ちゃんと2人きり。一日中授乳とおむつ交換、抱っこの繰り返し。子どもを疲れさせようと散歩に出かけても、散歩中子どもは寝てしまい帰宅後に大泣き。近所を散歩中、すれ違う人がほとんどいない田舎。まだ反応がない赤ちゃんに声をかける日々。児童センターなどにも積極的に出かけたが、その時は他の親子と関わり少しリフレッシュできるが、家に帰ると赤ちゃんとまた2人きり。夫が帰宅しても話を聞いてもらえない、私の思いを分かってもらえない。


 赤ちゃんはもちろん可愛いし、大切な存在でした。でも、なんか、とってもとっても虚しくなってしまって・・・。

 

 それまで、東京で8年間看護師として働いていたので、どこにいても人がいる生活、社会に属しているという安心感、人の役に立つことができているという思い、自分たちの思いや考えを共有したり話し合える存在がいる、自分のやりたいことが自由にできる、自分が稼いだお金があってそのお金を自由に遣える、が当たり前になってしまっていて・・・


 この子がいなければ、私は病院で働き続けてこうなっていたんじゃないか。海外に行って仕事を見つけていたんじゃないか。自分の趣味でこんなこともできていたんじゃないか。


 東京にいた今までの生活とギャップがありすぎて・・・家の周りは田んぼ道だけ。車がないとどこにも行けない。外出してもほとんど人と会わない。自分とこの子しか、この世の中にいないんじゃないかという孤独。話をできる大人は夫だけ。児童センターなどで出会った親子ともその時のたわいのない話をするだけ。自分が稼いでいないからお金を少しでも遣うのが申し訳なくてただただ毎日を生きるために遣うだけ。ばりばり働き続けている友人との差。自分が社会の置いてきぼりになっている。仕事に戻りたい。自分の時間が欲しい。自分のやりたいことをしたい・・・

 

 私は子どもの犠牲になっているな・・・・・と思ってしまった。


 こういう思いがあるまま、子どもを育てることなんてできるのだろうか・・・

 

 子どもが大きくなった時、あなたを育てるために私は犠牲になった。やりたいことも我慢して生きてきた。という思いが私の中にあった時、自分が子どもだとしたら、「いや、頼んでないし!」と言うだろうと思った。それを想像したら報われないなーと思ってしまった(笑)


 よしっ!!子どもには子どもの人生がある。私には私の人生がある。私も頑張ろー!


 そんなことを考えていた矢先、夫の転勤で東京に行くことになりました。夫と子どもを保育園に預けるか何度も話し合っていましたが、夫は3歳までは子どもと一緒にいてほしいと希望していました。その頃、なーにんも手伝ってくれていなかったので、私の何の苦労も知らないのに・・・。

 

 でも、夫が子どもの頃に2歳から幼稚園に通い始めた時に、幼稚園で約1年間一言も言葉を発することができなかった話を聞いていました。私も子どもの頃、母親が仕事を始めて祖父母と家に残された時に、洗濯機にかけてあった雑巾で(笑)、静かに涙を拭いていた思い出があるので、保育園を楽しんでいけるようになったら預けたいなーという思いがありました。


 1歳9か月頃に授乳もすでに終了しており、お手伝い先や移動中に我慢させてしまうことが多くなってきて、保育園に行った方が伸び伸びと楽しく過ごせるのではないかと自然と思えるようになり、今なら保育園に楽しんで行ってくれるだろうと思いました。

 夫は、子どもと一緒にいないし、私の話を聞かないので、子どもの成長が分かっておらず相変わらず保育園に預けることに抵抗がありました。なので、もちろん保育園探しに協力してくれるわけはなく…💦自然と私の仕事となりました。

 保育園見学当日、子どもの驚くべき行動を目にしました。園長先生が園児が過ごしている全てのお部屋を案内してくれた時に、私と園長先生は部屋の入口で話をしていたのですが、子どもが手を後ろで組み部屋の中に一人で入っていき、一周ゆっくりと歩いて戻ってきます。まるで、お偉いさんが部屋の中を視察しているような風格でした(笑)。子どもは全ての部屋を同じように視察しました(笑)。私は、その姿を見て、この子は大丈夫だ!と思いました。なんで、子どもはあんな行動がとれたんだろうと考えた時に、私が子どもを連れてお手伝いに行っていた時に、誰もが「可愛いー。」と笑顔で話しかけてくれて、一緒に遊んでくれました。この体験が、この子にはとって、自分はどこに行っても誰にでも可愛がってもらえる。一緒に遊んでもらえる。受け入れてもらえる。と感じることができたんだと思います。

 

 無事に保育園に入園することができ、毎日にこにこで保育園に通い始めました。その姿を見て、夫は驚き子どもを尊敬し、安心していました。

 私の看護師としての仕事探しも始まりました。しかし延長保育ができなかったので看護師として働くためには、難しい現実がありました。そして、子どもの年齢を聞かれ体調を崩しやすい年齢だから難しいと言われ、休日出勤ができないと難しいと言われ・・・じゃあどうすればいいの?と思いました。男の人でも、仕事探しで同じように子どもの年齢を聞かれるの?子どもが小さいから、病気になりやすいからと言う理由で仕事を制限するの?と疑問に思いました。

 

 ずーっと男女不平等だと思って今も過ごしています(笑)どんなに男の人が家事や育児を担ってくれても、それはただ手伝っているというだけで主体的ではない、主体的であれば、男女共、同じように子どものために制約があり、同じように不自由であり、同じように社会から子どもを育てている親として見られなくてはいけない。子どもがいてもばりばり働いている女性が多いけど、働くために、毎朝、早く起きて食事作っているのは誰なんだろー、掃除、洗濯は?子どもの送り迎えは?保育園や学校の準備は?保育園や学校の集まり、行事の参加は?忙しそうに髪を振り乱しながら自転車で送り迎えしているママ、子どものために短時間勤務で働いているママ、子どものために職場、働き方を選ぶママ、女性が働くために、女性が活き活きと社会と繋がるために、女性は制約の中で可能な限り自分が輝ける場所を探している。私の現在の状況や価値観で物事を見ているからこその思いですが・・・。現実にはどうなんでしょう・・・か?


 夫に「あなたが子どもを産んで育てて!私が働くから。」と言うと、最近は面倒くさそうに「身体の機能が違うからそれは無理でしょ。」と言われます(笑) そりゃそうだ。本気でそれができるとは思っていない。でも産休、育休で仕事、社会から離れるという事、子どもと2人きりで過ごすという事、それがどれだけ心身に影響を与えているのかを分かってほしい、気づいてほしいという気持ちがずーっとあります(笑) これは女性特有の共感してほしい心理かもしれません。女性は面倒臭い。自分自身で思います(笑)


 男女平等は身体の機能的に無理でも、男女公平であってほしい。必要な時に必要な手助けができるように、困ったときに一緒に困ったり、悩む時に一緒に悩むことができるように、不自由に感じていることを共感し、辛さを分かち合える土俵に立ってほしい。自分も相手に望むだけではなくて同じ土俵に立ちにいかないといけない。


 夫の声が聞こえます。「めんどくさっ!」(笑)

 
 
 

コメント


bottom of page